10 月2 日の記者会見、オープニングレセプションの翌日、10 月3 日からモスクワの国立美術館、 全ロシア装飾民族工芸美術館で一般公開された“ 中嶋邦夫個展 In The Garden” は、お陰様で好評のうちに11 月25 日をもって閉幕、出品作品の撤収も予定通り無事終了し、 皆様への返却の準備をはじめました。 多数のお客様、関係者の皆様に多大なご協力をいただきました結果、ロシア側の関係者も驚くほどの反響を得て、日本の現代ジュエリーの注目度の高さを改めて実感してまいりました。
最終日前日の11 月24 日にモスクワに入り、撤収作業の打ち合わせをする中で、美術館より最終日25日に ギャラリートーク開催の要請をいただきました。個展開催中、各方面から中嶋本人による講演の依頼があり、美術館、文化庁としてもぜひ機会を作りたいという希望が あるとのことで、急遽25 日のギャラリートーク、その後スケジュールの調整をしながら・・・美術大学と美術関係者、ロシアの伝統工芸を伝える技術工房での講演を行うことになりました。
前回、開幕後に招待されたエルミタージュ美術館見学の際に改めて感じた様に、ロシアの工芸の中で、 旧帝政ロシア王室、教会に関する美術工芸品において、金工と七宝の占める位置は予想以上に高く、特に高度な七宝技法に対する評価と憧れは、 日本国内では全く想像もできないほどのものがありました。
今回のギャラリートークも、前日の午後に急遽ネット上で紹介しただけにもかかわらず、午前、午後ともに30名を
超える出席者があるなどその関心の高さがうかがえました。ロシア再訪を前にネット上のyoutubeにアップされたオープニングレセプションの模様などの影響もあり、美術関係者、
ジュエリー関係者のみならず、一般の見学者へのアピール度も非常に高かったことなども、今回の高評価に寄与しているものと思われます。
http://www.youtube.com/watch?v=bvusBc7WqhU
最終日の翌26 日は、美術館は休館となり、撤収作業を行いました。すべての警報システムを解除し、ガラスケースを撤去、
作品の撤収に入りますが、この間は美術館関係者数名が立ち会い、設営時と同様に常に万全の態勢を整えていただきました。
また、作品の引渡しに際しても、前回同様、
作品1 点ずつに対して使用されているダイアのメレーの数まで含めて詳細な確認を行ったうえで、引渡し書類にサインし、度重なるチェックを経て引渡し、
梱包を済ませ、そのまま会場内で美術品輸送専門のCrown Fine Art に受渡し、通関業務の委託へという段取りで、まさに最高の美術品としての取り扱いをしていただきました。
この時点で作品の管理は世界最高の美術品輸送会社の管理下に入り、帰国時のモスクワ、 シェレメチェボ空港VIP ルームまで安全に保管されることになりました。
26 日夜には、今回の個展の推進役をしてくださった元全ロシア装飾民族工芸美術館館長のシソエンコ氏より、同行の家族、 七宝ジュエリー作家の簔輪田氏とともに会食のご招待をいただきました。
文化庁より全ロシア装飾民族工芸美術館館長に出向されていらしたシソエンコ氏は、 今回の個展中に館長を退任され新たなお仕事に着手なさることになったそうですが、相変わらず美術品を求めてお忙しく世界中を飛び回っていらっしゃるそうで、 今回も忙しいスケジュールを縫っての会食となりました。その席上で、早くも次回の個展についての相談をいただきました。今回の個展が非常に好評だったので、 できれば早い時期にサンクトペテルブルグをはじめとするロシア各都市で開催したいとのお話をいただき、引き続き検討するお約束をさせていただきました。
訪露4 日目の27 日は、今回多大な援助をいただいた国立銀行ズベルバンクのご厚意でクレムリンのVIP 招待券をいただき、 膨大な宝物が眠る武器庫・ダイアモンド庫を見学することになりました。通常は何時間も待ってやっと入れるクレムリンに、特別な入口から入場、 ロシアの誇る宝物をじっくりと見ることができました。残念ながら庫内は撮影ができませんでしたが、素晴らしい金工作品の数々に、数十年前、パリの装飾美術館で受けたのと同じ感銘を受け、 呆然としてしまいました。かつての帝政ロシアの宝物は勿論のこと、特にソビエト、1970 年代に展示用に製作されたというジュエリーの質の高さには圧倒されてしまいました。 あのソビエトの時代に高度な金工技法を絶やさないようにするために、グラン・サンクの作品に勝るとも劣らない素晴らしい王冠やネックレスが作り続けられていたことを知り、 権力の力と美術品へのリスペクトの大きさを思い知らされました。
夕方には、ロシア芸術アカデミーで開催されるガラスとテキスタイル作家の個展のオープニングレセプションにご招待をいただきました。 会場に到着するとすぐに、数名の方から個展を見たとのお話をいただき、司会をされていたロシア芸術アカデミーのイリーナ・ペルフィリェーワ会長にご紹介いただきました。 会長ご自身も七宝の作家でいらっしゃるようで、今回の個展を大変高く評価してくださり、簔輪田氏とともにアカデミーとして来年2月のカンファレンスへのご招待をいただきました。
28 日はロシアの冬らしく朝から雪が舞い始めました。この時期のモスクワは朝9時になってもまだ真っ暗で、旅の疲れも出始めてなかなか目が覚めないのですが、 町は早朝から活動を始めています。一般にヨーロッパでは各企業の始業は早く、8時には仕事が始まるようです。雪の朝ということもあり、モスクワ名物の渋滞がさらにひどくなっていて、 今回滞在したアパートのあるモスクワの繁華街、新アルバート通りも車で溢れています。
午前11 時から、手配いただいた車で出版社に向かい作品集出版のうち合わせ、その後モスクワ国立テキスタイル大学に向かい、約束の午後2 時30 分を少し過ぎて講演の会場に到着しました。 この大学は時計やジュエリーのデザイン制作も含めた芸術系の総合大学だそうですが、 講演会場にはすでに沢山の学生や教授陣が待ち受けていて、休む間もなく講演をはじめました。
今回の講演内容は、訪露直前に箱根ラリック美術館で行った講演とほぼ同じ内容で、私自身がこの仕事に携わるきっかけとなった故田宮先生との出会いから、 In The Garden 立ち上げまでの経緯、アール・ヌーヴォーの影響と、In The Garden ジュエリーに使われる七宝技法の詳細について、作品のハンドリングを交えながら解説をさせていただきました。 箱根ラリック美術館では、日本七宝作家協会の方々や、文化学園、杉野学園の学生が中心でしたが、ここモスクワでもジュエリーや七宝の伝統工芸を目指す学生と、実際に商品としてのジュエリー制作に 携わるデザイナーなどが、かなり真剣に聴講してくださり、いくつもの鋭い質問も飛び出して、通訳をしてくださった今回の個展の仕掛け人ナタリアさんも困惑させられていました。
来年3 月には今回の個展や講演を基に、日仏会館で東大の三浦先生の司会で、著名な芸術関係の方とご一緒にパネル・ディスカッションに参加させていただく計画もあり、 洋の東西を問わず、美術品としてのジュエリーに対する思いの大きいことを感じる体験をさせていただきました。
この日の夜は、最大の後援者、ズベルバンクのバロメンスキー氏ご招待の夕食会です。やはり雪のために少し遅れて到着した場所は、町の喧騒から離れた場所に孤立して立つ近代的な高層ビルで、 およそレストランなどはなさそうな場所でした。実はここはロシア科学アカデミーの建物で、ロシアの科学の中心地だそうです。その最上階にある高級レストランが今夜の晩餐の会場で、 窓からは雪に煙るモスクワのネオンが瞬いています。バロメンスキー氏との会食は2 度目ですが、今回は家族同伴ということもあり、前回よりよりフランクに話しかけていただき、 心からリラックスした雰囲気の中で今回の個展の感想やスポンサーとしての評価を伺うことができました。率直なご意見をということで、少し緊張したのですが、やはり予想以上の評判と手ごたえを感じたとお話しいただき、 ようやく肩の荷がおりた様な気がしてすっかり打ち解けた会話を楽しむことができました。今後のビジネスに関する後援が戴けそうな感触もあり、良好なパートナーシップの継続をお願いしました。
初めてバロメンスキー氏に面会する簔輪田氏は、今回の個展につながるシベリアの作家ブダジャベ氏との繋がりのきっかけを作ってくれたこともあり ブダジャベ氏との共有スポンサーであるバロメンスキー氏も、会うのを楽しみにされていたようでした。
滞在6 日目になる29 日。簔輪田氏は都合で本日夜の便で帰国の予定ですが、11時から氏が最も期待をされていた、金属工芸の工房カヴィダ社へ伺いました。 カヴィダは前回も伺った工房で、ソビエト時代に破壊された教会などの宝物の修復や、新しい宝物の制作を行っているロシア有数の工房です。今回はクレムリンやバチカンからのオーダー品の 制作現場を見学させていただき、同時に僭越ながら私の講演を基に工房のクラフトマンたちとの技術や制作意識についての交流をする機会をいただきました。
カヴィダでの作業は、手作りの原型製作から鋳造、七宝、彫金、仕上げまでを一貫して行う非常に高度な技術を駆使した仕事内容で、作品も小さなジュエリーから、 イコン、儀式用の錫杖や、聖人の像、教会のシャンデリアやドアに至るまで、考えうるあらゆる工芸品を製作しています。このような場所で私の体験を話すこと自体、恐れ多いことなのですが、 プリカジュールや日本の色金などの技法について非常に興味を持って聞いていただき、現場のクラフトマンの方々とは、より深い親交を結べた手ごたえがありました。 私は、技術は物作りにとっての言葉だと考えているのですが、まさにその作業や作品を見るだけで、彼らが何を考えて手を動かしているのかが手を取るようにわかるのです。 これを機に今後も長く交流を深めて、互いに刺激をしあってゆきたいと話しつつ工房を後にしました。
30 日も本来であればロシア宝飾品協会のアンドレイ・ギロド氏や、シベリアのダイアモンド販売会社、ヤクーツク・ダイアモンド社のオーナーとの会見予定があったのですが、 雪の影響などで時間調整ができず今回は見送ることになり、思わぬ休日になりました。ゆっくりと朝寝坊をして、昼前からはモスクワの地下鉄めぐりをすることに決定。 家族と共に一日中地下鉄の駅を見て回りました。モスクワの地下鉄はすべての駅のデザインが多様で、様々な彫刻やステンドグラス、モザイク画などの装飾が施されています。 一駅ごとに降りてはホームを歩き回り、写真を撮って楽しみましたが、特に家内はステンドグラスを長く製作していることもあり、…駅のステンドグラスに見入っている様子。 私自身もデザインの宝庫に入り込んだような錯覚に陥るほど楽しい時間を持ちました。
ちなみにモスクワの地下鉄は1回28 ルーブル(約85円)で、どこまで行っても同一料金なので、東京以上に市内を縦横に走る地下鉄を乗り継いで、 すべてを見て回っても構いません。車両もかなり古いものから新しそうなものまでバリエーションに富んでいて、それなりに楽しめる小旅行になりました。 この日は午後から気温が上がって雨模様になり、金曜日の夜の割に人通りが少ないような印象で、札幌同様、雪国の人たちはかえって雨が苦手なようです。
最終日、12 月1 日の朝。昨日までと違って、暗いながらも遠くのネオンが良く見えていました。今回モスクワに来てから、初めて少しだけ青空がのぞく天気です。早朝ナタリアさんから連絡があり、 最寄りのヤクーツク・ダイアモンドの直営店に見学に行くことになったとの事。チェックアウトのパッキングを済ませて、トロリーバスでお店に向かいました。 伺ったお店は、環状線沿いの街( 東京でいうと環7沿いの高円寺という感じでしょうか) にある小規模なショッピングモール内のチェーン店で、店のしつらえも日本のそれと同じような規模、商品構成も近いものが あるような感じでした。この会社のオーナーは現在地方都市での展示会に出かけているということで、若い店長にロシアでのジュエリー販売の様子を伺いました。
お話によると、このクラスの会社の販売形態はかなり日本に近いようで、店舗での販売と展示会での販売を並行して行い、販売価格はやはり展示会の方が高いそうです。 日本と決定的に違うのは販売方法で、ヨーロッパ諸国と同様にすべてキャッシュでの販売であるということ。ジュエリーをローンで買う習慣がある国は、やはり極々少ないようです。 帰りには、アパートの近くにある友人のオーストラリア人デザイナーのお店に立ち寄りました。今年の4月にオープンしたばかりの小ぢんまりしたお店ですが、ショッピング街の一角に位置し、ヨーロッパの 高級店のように展示商品は少なく、クライアントの要望に合わせて商品を取り出すスタイルのようです。先ほどのチェーン店とは対極の店舗形態で、先日訪れた高級百貨店も含めて、 様々な販売形態が混在するのは万国共通な様子です。
夕方には雪の影響も考慮して少し早めにシェレメチェボ空港へ。予定より少し早く、5時半前には搬送会社のBRINKS と空港で合流して関税に向かいました。 今回は入国時と違ってCrown Fine Art は通関手続きまでの担当で、その後荷物をBRINKS が空港まで運んできて関税のチェックを受け、中嶋本人にVIP ルーム内で手渡しをするという段取りです。 BRINKS到着の連絡で同行の家族と別れ、関税に向かいます。すでに通関は済んでいるので簡単なチェックだけのはずですが、やはりたっぷり1 時間半ほど待たされて、 アエロフロートのチェックインが午後7時過ぎ。VIP 用のパスポートコントロールを通って飛行機に乗り込んだのが8時半過ぎなので、空港到着からはやはり4時間近くかかっています。 入国時もそうでしたが、このあたりの事務処理のおおらかさというか、のんびりしたところが日本以外の国では当たり前のようなもので、慣れるしか仕方がないのでしょう。
9 月末に始めてモスクワを訪れて、2 か月余り。予想もしない華やかなオープニングレセプションから始まって、今回の旅でも様々な方々から歓待や称賛をいただき、 日本での販売活動では想像もできないような出会いと交流を体験することができました。そのすべての始まりが、七宝の技術を通したシベリアの彫刻家ブダジャベ氏との出会いであり、 その出会いを作ってくださったナタリア・サンジェーエワさんのサポートの賜物です。七宝技術というモノづくりの言葉が、国を超えた交流のきっかけとなったことは、私にとって何物にも代えがたい財産であり、 一緒になってこのモノづくりを進めてくれている若いスタッフのこれからのエネルギーになってゆくはずです。
今回の得難い経験を与えてくださった皆様に報いるためにも、海を越えて次の世代を育て、技術が引き継がれてゆくために役立つような活動こそが、 これからの私の役割なのだと感じています。改めて今回のプロジェクトを支えてくださった皆様に心よりのお礼を申し上げて、報告の筆をおくことにいたします。